天日塩 土佐の塩丸
有限会社ソルティーブ
二代目 塩守 吉田拓丸
Living with Sea
TEMPIEN TOSA NO SHIOMARU
Takumaru Yoshida
海と共に生きる
ご両親が大阪から移り住み、この地で塩づくりをはじめたのは吉田さんが3歳の頃。そんなご両親を見ていて、幼い頃からとてもいい仕事だなと感じ、自分も塩作りの仕事をすると決めていたそうです。しかし、大学卒業後は別の仕事を一度経験してみようという事で悩んだ末に心に浮かんだキーワードは「海」。そして、スクーバーダイビングのインストラクターの道へ。その後、ダイビングの仕事を通して海の世界を経験。ダイビング技術をマスターし、この仕事で世界中どこへ行ってもやっていける。そう確信した吉田さんは高知へ戻ります。そして、念願だった家業の塩作りをはじめます。
生活の中にいつも海がある。
幼い頃から、暮らしの中に海がある吉田さん。人間の体は塩で出来ている。お母さんのお腹の中でも養分だったりとか、よく「必ず海を見ないといけない。」とか、「海を見ると落ち着く。」とか、サーフィンする人、ただ海を眺めるだけとか、みんな海補給してるんですよ。「自分は塩とダイビングで海を伝えるスペシャリストになりたい。だから、今も細々とダイビングの仕事もやっています。夏場は塩作りとダイビングで大忙しです。」と笑顔で語ります。
天日塩作り
天日塩作りに必要なのはまず原料となる海水。目の前に広がる真っ青な海。ここ黒潮町は高知県の西南に位置していて美しい砂浜や磯が続く海岸線、緑が深い山々、そして最後の清流と呼ばれる四万十川が、この雄大な太平洋にそそぎます。町の名前のとおり、黒潮が流れる海は土佐の伝統漁法のカツオ一本釣り漁やホエールウォッチングなどの自然体験が楽しめる。まさに雄大な海。この美しい海の水を使うわけですが雨が降ると雨水が混ざってしまう。
海水を汲み出すのは晴れの日が続いた満潮時のタイミングをねらいます。汲んできた海水は櫓(やぐら)の上から滝のように流し、流した海水を集めてまたの上から流す。このような工程を何度も何度も繰り返し循環させます。循環するうちに太陽熱や風にさらされ水分がゆっくりと蒸発。塩分濃度が徐々にあがり濃ゆい海水を作る。この濃ゆい海水を鹹水(かんすい)と言うそうです。この鹹水(かんすい)を結晶ハウスという塩を結晶化させるためのハウスに移します。結晶ハウスは木製の骨組みにビニールシートが張られているだけのシンプルな構造。太陽光がハウス全体に受けることが出来きて室内温度は冬場は30℃、夏場は60℃にもなります。中に入ると強い光が入り建物のパース感がとても美しい。床には真っ白な塩がびっしりついていてしばらくいると塩で肌がピリピリとしてきます。
整列された浅い木箱がいくつも並んでいて、この木箱に鹹水を流し太陽の熱でさらに水分を蒸発させゆっくりと結晶化させていきます。あとは放っておくと塩ができるのですがおいしい塩を作るには毎日のお世話が大切と吉田さんは語ります。お世話は毎日毎日この鹹水を手で混ぜて攪拌してきます。やがて結晶化していくと粒の大きさや硬さ、味のバランスを見て整えて行きます。しかしハウスの中は夏場には60℃にもなるそうです。そんな過酷な暑さと戦いながら最終的に結晶を収穫をし液体と結晶に分けると塩が完成します。
高知県は温暖で日照時間がとても長く、
どこへ行ってもきれいな海岸線ときれいな海があります。
このきれいな海を残すためにはきれいな川がなければいけない。
このきれいな川も高知県には沢山あります。
このきれいな川を残すためには元気な山々がないといけない。
この山々も高知県には豊かな山々が残っている。
まさに天日塩作りはこう言った気候風土とか自然環境とか様々な特徴を一粒一粒に詰め込んだお塩だと語る吉田さん。「日々の天候の変化、湿度、風、光、それらを感じながら一粒一粒にこもる様にお客様の口の中に入った時、それらが "ふわっと" 頭の中に思い浮かぶ様なそんなお塩にしたい。」と思いを語ってくれました。生まれ育った環境、ダイビングという仕事で経験してきた自然への思い。そして、海と共に生きる日々の暮らしがこのお塩「土佐の塩丸」を作り出しています。
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